つれづれなるままに…・2001年2月6日

 え〜…
世の中には2極で存在するものが、いろいろありまして…。
たとえば、
「北極」と「南極」
「陰」と「陽」
「光」と「闇」
「男」と「女」
「裕子」と「弥生」
「女心」と「秋の空」
「不細工の大金持」と「超美男子の貧乏人」ならどっちと結婚する?
…などと、数え上げ始めたらキリないぐらい出てきますね。

 その『2極で存在するもの』の代表格は、やはり『ボケ』と『ツッコミ』という意見が国連の過半数を占めているそうです。
今日は、『ボケとツッコミ』について、少し考えてみたいと思います。

まず、『ボケ』ですが、あらかじめ断っておきますと、ここで示す「ボケ」とはあくまで意図的に行う作業を指すのであってお年寄りにありがちな行動天然無欠の電波さんは含みません。お間違えの無いようにお願いします。
で、「ボケ」というものを考えてみますと、意外と昔から進歩していないように思いますね、自分的には。
基本的な技としては会話の本質から微妙に(時には大きく)ズレた事を口走る作業、もしくは常識を大きく逸脱した言動を示します。
これは人生幸露や平和ラッパの時代から不変のものではないでしょうかね。
だからと言って『ボケは簡単か?』と言うと、そうではないですね。『先が読めるボケはボケにあらず』です。もしも観客に、その事がばれてしまった時点でその時間帯は終わりです。失敗です。ドッチラケですね。
まぁ、吉本新喜劇のような予定調和の状況では話は別ですが、漫才においてはほぼヂ・エンドと思っても結構でしょう。
売れない漫才コンビほどボケがつまらない、先が読める、というのはほぼ定説と言って間違いないでしょう。
逆に売れてる漫才コンビを見ると、たとえばダウンタウン松本人志、ヘイヘイのフリートークの中でも意外性抜群ですね。
まぁ、アンチDTの人に言わせりゃあーだこーだとあげあしを取れる部分はあるかもしれないですが、純粋に会話の流れだけを追いかけて聞いていると、予想不能なシュールなボケに感心しますねー。
皆さんも素晴らしい芸人さん達を見習って立派なボケを目指して下さい。

 


代わって、『ツッコミ』ですが、こちらには、先ほどの「ボケ」とは全く違うものが要求されますね。
「ボケ」に要求されるものが『独創性のある閃き』『天性のセンス』ならば、ツッコミに求められるものは『絶妙のタイミング』『個性』
ズバリ、これですね。
一昔前の漫才なら、ほとんどのツッコミが『なんでやねん!』『ンなあほな!』『わけわからんわ!』『もうキミとはやっとれんわ!』などのセリフで落ち着いてしまっています。
ごく希に『このドロ亀がっ!』と素晴らしい罵倒ツッコミを披露される師匠もいらっしゃいましたが、ほとんどのツッコミがオリジナリティを欠いていました。
しかし、ある時期をきっかけにツッコミの進歩が始まりましたね。その「ある時期」とは漫才ブームの終焉ですね。その後の「漫才氷河期」を経てツッコミは進歩しました。
その形態は、「ノーマルツッコミ(裏拳ツッコミ)」からノリツッコミ、飛び蹴りツッコミ、前後Wツッコミ、放置ツッコミなどと、現存するツッコミは数限りなく派生しました。さらに形態だけでなく、ツッコミを繰り出すタイミングも重要になってきますね。
これは修練の賜物以外の何者でもないでしょう。
ツッコミストを目指す皆さんは毎日に修練を怠らないようにしましょう。

 


さて、自分の話に移るんですけど、時々自分は「ボケ」なのか「ツッコミ」なのか解らなくなる時があります。
バンドのメンバーと居る時は、自分は明らかにボケ担当です。
なぜなら、そこには優秀なツッコミが存在しますので、自分は安心してボケに徹することが出来ますが、時として自分は明らかにツッコミ担当になる状況があります。

その状況とは…





キュルキュルキュル…ドゥンドゥン!ボボボボボボ…プスン…

俺:『なんで止まるねーん!(ツッコミ)』
この場合ボケ担当はロメオですね…

☆今日の一言☆
表裏一体
(何事も勉強です)